阿波藍の歴史history

阿波おどりと阿波人形浄瑠璃
~地域の総合力の結晶〜徳島県立阿波十郎兵衛屋敷館長 佐藤賢治氏

徳島の豊かさ

徳島は、温暖な気候で、吉野川をはじめ勝浦川、那賀川、海部川など水量豊富な河川を有し、肥沃な土地にも恵まれた極めて豊かな土地です。
特に日本の三大暴れ川に数えられた吉野川は、数多くの水害の歴史を持つ一方で、徳島に多大な恩恵をもたらしました。

吉野川 吉野川

中でも藍は、江戸時代になって国内生産されるようになった木綿の染料として需要が急増し、吉野川流域の藍の作付面積は年々増加していきました。
また、手板法と呼ばれる藍の品質の鑑定法によって、すくもの製造技術と品質が向上し、阿波の藍玉は、18世紀には全国の市場を独占するまでになりました。

藍作は、連作を嫌い、大量の肥料が必要な農業ですが、徳島では毎年のように洪水を起こした吉野川が、四国山地の肥沃な土を運び、自然に畑に入れてくれました。
その土に干鰯や鰊粕などの肥料も入れてつくった阿波藍は、他国産の藍を凌駕し、これを江戸や大坂をはじめ全国に販売した藍商人たちは、莫大な富を築いたのです。

藍商人の繁栄

全国各地に進出した藍商人は、取引先の顧客を歌舞伎や文楽などに招待したり、花街で接待することが慣例化し、中には、湯水のように金銭を使い大尽遊びをする人もいました。
『伊勢音頭恋寝刃』は、阿波藍の主要な売り先のひとつであった伊勢の古市の遊郭・油屋で1796年に実際に起こった事件をもとに歌舞伎として上演され、後に浄瑠璃にも移されたものです。
宇治の医者が酒に酔い、油屋の従業員と、そこに居合わせた阿波の藍商人、岩次郎、孫三郎、伊太郎ら10人を殺傷したのですが、原因は金遣いの派手な藍商人に対するねたみや反感があったと考えられています。
劇中でも、被害者であったはずの藍商人が、徳島岩次という名前の悪党として描かれているのです。

阿波おどりの発展

ねたみの対象になるほど羽振りのよかった藍商人は、その経済力と全国各地における営業活動や情報収集を通じて、阿波おどりや阿波人形浄瑠璃など、今日の徳島を代表する芸能文化の発展に極めて大きな役割を果たしました。

藩政時代の初期に始まった阿波おどりは、先祖の霊を迎える敬虔な盆踊りに、上方等で流行していた即興の寸劇である「俄踊り」や風流踊りを継承する大規模な「組踊り」を取り入れたり、九州のハイヤ節や関東の潮来節、三重の伊勢音頭など藍商人が徳島に伝えた諸国の芸能の影響を受けながら、今日まで時代とともに変遷しながら発展してきたものです。
藍商人たちはまた、阿波おどりを経済面で支えるとともに、時には自ら豪華な衣装を着飾って、歌舞伎や人形芝居のさわりを演じる「衣装俄」で、阿波おどりを盛り上げました。
ますます華美になり、規模を大きくする阿波おどりを警戒して、風紀の引き締めを図る藩の規制にも関わらず、阿波おどりは、城下の町人たちの新たな発想と創造力によって、より魅力的なものになっていきました。

人形浄瑠璃の普及

人形浄瑠璃 人形浄瑠璃

阿波おどりと併行して、徳島の郷土芸能として最も人ロに膾炙したのが人形浄瑠璃です。

徳島でいつ頃から行われたのか明確ではありませんが、元禄6年(1693年)には、淡路島で最も伝統ある人形座である上村源之丞座が、徳島城下の東富田操場所で14日間に渡る興行を行い、連日大入り満員であったという資料が残っています。
近世初期から徳島城下を中心に入形浄瑠璃が盛んに行われていただけでなく、街の随所に義太夫節の稽古場があり、旦那芸として多くの藍商人らも稽古に励みました。
宴席などでも盛んに行われ「阿波の一口浄瑠璃」として多くの人が楽しんでいたのです。
浄瑠璃は、俄や組踊りの芸題として取り入れられたり、太棹の三味線が阿波おどりの主要楽器として用いられるなど、阿波おどりの盛り上げにも一役買っていました。

犬飼農村舞台 犬飼農村舞台

江戸時代の徳島で、藍と並ぶ重要な産物のひとつが木材ですが、徳島を代表する林業地帯である那賀町には、人形芝居のための野外劇場である農村舞台が、今も全国で最も多く残っており、平成25年に42棟の舞台が確認されています。

春秋の祭りに鎮守の神に人形浄瑠璃を奉納するための舞台ですが、那賀川、桑野川流域にも、義太夫節を習う林業家らが多数あり、人形座も、初代天狗久の注文帳に、江戸時代末期から明治の初めにかけて20座以上の座銘が記載されています。
藍商人は、江戸や大坂などに拠点を構え、藍だけでなく木材も扱い、中には久次米家のように全国一の取扱量を誇ったところもあります。
藍商人は徳島の林業の発展にも関わり、県南における人形浄瑠璃の普及にも貢献したと言えるでしょう。

人形浄瑠璃の普及

阿波おどりや阿波人形浄瑠璃など芸事が発展するためには、そこに住んでいる人々が一定以上の経済力を有していることが不可欠ですが、その経済力は、地域の風土や歴史、産業などと密接に関わっています。
伝統芸能は、地域の人々の暮らしに広く、深く根を張りめぐらせながら花開いたものなのです。
芸能だけを切り離すのではなく、地域の総合力の結晶と捉えて、その根っことともに発信することで、より輝きを増していくものと考えています。

浄瑠璃人形による阿波おどり 浄瑠璃人形による阿波おどり