阿波藍の製法process

「すくも」ができるまで

蒅(すくも)

緑の葉から生まれる、深い深い青の奇跡。
阿波藍染の要となる蒅(すくも)は、藍師と呼ばれるプロフェッショナルによって、すべて手作業でつくられる。
その期間、約100日。
厳しくも繊細な作業を支えるのは、屋号にかけた藍師の意地と誇り。

江戸時代から続く製法

蒅(すくも)。藍染の要となる染料のことである。
染の美しさは蒅の品質によるところが大きく、古くから染師はより良い蒅を求め、藍師は屋号にかけて質の高い蒅づくりに励んできた。
流通手段が限られていた時代は、蒅を突き固めた塊にして運搬していたため、その塊の名称・藍玉と蒅を同一の意味で使用している例もあるが、染料の名称としては蒅が正しい。
江戸時代から阿波の蒅は優れた品質て知られ、藍関連の産業は大きく栄えた。

小上粉(こじょうこ) 徳島で主に栽培されている藍は、タデ科の小上粉(こじょうこ)という品種。通称タデアイと呼ばれることが多い。
東南アジア原産の一年草で、早生の赤花種と晩生の白花種がある。

時代は移り、藍を取り巻く環境は大きく変化したが、蒅づくりの工程は江戸時代とほぼ同じである。
植物由来の染料である蒅づくりは、原料となるタデアイの栽培から始まる。
3月の種蒔き、梅雨前の定植(苗床から畑への植替)、夏の収穫までは「農作業」となるため、作物のひとつとしてタデアイを栽培する農家も少なくない。
むしろ藍師の家だけでは葉藍が確保できない場合が多く、地域の農家は蒅づくりに欠かせない存在となってる。

寝床で進む発酵

タデアイの収穫が終わると、作業の場は藍師の家に移る。
生活のための母屋、葉藍の乾燥に必要な広い中庭、そして寝床と呼ばれる作業場からなる藍師の家は「屋敷」と呼ぶにふさわしい構えのものが多い。
蒅づくりは家内工業であるため、藍産業が盛んだった時代には、住み込みの職人が暮らすスペースを備えた家もあったという。

運び込まれたタデアイは裁断の後、扇風機の風を利用して葉と茎に選別。
インジゴを含む葉のみを中庭に広げ、約2日間かけて「藍こなし」と呼ばれる天日乾燥を行う。
天候が定まりにくい昨今、乾燥機を導入したり、乾燥の工程を屋内で行う藍師もいる。
乾燥を終えた葉藍は「ずきん」と呼ばれる袋に保存され、次の作業を待つ。

9月に入ると作業もいよいよ本格化。
寝床ひとつあたり3,000kg~3,750kgの葉藍を積み、同量の水をかけ、混ぜ合わせ、約1mの高さに積み上げる。
この作業を「寝せ込み」、積んだ葉藍の上にかける筵を「ふとん」と呼ぶ。
一度「寝せ込み」が始まると、約3ヶ月の間、4~5日に一度のタイミングで葉藍に水をかけ、混ぜ合わせ、また積みあげる、「切り返し」という作業が繰り返される。
葉藍の発酵を促すこの工程で最も重要なのは水加減であり、専門の職人「水師」が管理していた時代もあった。

作業を支える経験と勘

「切り返し」の間には2度ほど「通し」を行う。
「通し」とは、発酵がムラなく進むように葉藍の塊を砕く作業だ。
22回~23回の「切り返し」を経て蒅が仕上がると藍師それぞれの屋号印を押した叺(かます)に詰められ、ようやく出荷となる。

「藍こなし」「寝せ込み」「切り返し」。
いずれも大まかな手順は決まっているが、日程や作業の詳細は経験を積んだ藍師の「勘」で決まる。
タデアイの生育具合は年ごとに異なり、作業中の天候に決まったパターンはない。
葉藍を「四つ熊手」で集める時の感触、「はね」て返す時の重み、寝床にこもる香り、日々変わっていく葉藍の色・・・。
五感のすべてを働かせて、藍師は日々細かい調整と決断を積み重ねてゆく。
全国屈指と称えられる阿波の蒅は、こうした真摯な仕事の中で生まれるのだ。

「藍の華」(藍色の泡) できあがった蒅は、染師の元で灰汁等を用いて染料に仕立てられてゆく(藍建て)。
大きな甕で発酵が進み、その過程で生まれる「藍の華」(藍色の泡)の状態で藍液の出来がわかる。

化学染料の普及や和装文化の衰退など、幾多の困難を乗り越えてなお、質の高い阿波の蒅は全国の染師に求められ続けている。
けれども藍師の家に代々受け継がれてきた蒅づくりの技を、未経験者はもちろん、後継者でさえものにするのは容易ではない。
材料となるタデアイを栽培する農家も減少傾向にあり、需要と供給のバランスがうまく取れていない現状だ。
一方で近年、タデアイの栽培から蒅づくり、そして染までを一括で行う、チャレンジングな若い職人も現れている。
伝統の製法を守る人、新しく挑戦する人、作品づくりを通じて蒅を支える人。
ジャパン・ブルー、奇跡の青を生み出す蒅づくりの世界は、変化の兆しをはらみながら、今、新たな時代を迎えようとしている。